まだ、携帯電話のない時代の話である。
時代は1990年。
職場に配属になり、最初の仕事は、鳴っている電話をかたっぱしから取ることだった。
わたしは営業職で、内勤の業務担当者も別に数名いるのだが、彼女たちの仕事はFAXでやってくる注文の処理と、出荷のための品繰りが中心だった。かかってくる電話は注文ではなく、取引先の営業からの「営業担当者への仕事の依頼」なので、基本的に電話は在席している営業職が取ることになっていた。
21世紀も18年を経過した現在と異なり、電子メールなどというものは微塵もなく、電話機に相手の番号が表示されるナンバーディスプレイもない時代だ。連絡はすべて電話、その後の確認書類がFAXで流れてくる──あるいはFAXされた後に着信確認の電話がかかってくる、というのが通常のパターンだった。
とにかく毎日、電話を取り、相手先を確認し、その後担当者がいれば電話を取り次ぎ、いなければメモを担当者の机上に残す。
たったそれだけのことなのに、毎日が必死だったのを憶えている。
そして大抵、メモに電話を受けた日時を書き忘れて叱られていたものだ。

そんなわたしに、まるで福音のような電子文具が現れる。
その名は、タイムプリンタ
セイコー電子工業(後のセイコーインスツル)の秘密兵器だ。

見た目は、デジタル表示のある卓上目覚まし時計という風情である。
中央に7セグメントLCDパネルがあり、ここに年、月、日、曜日、時、分、秒がデジタル表示される。
LCDパネルの周囲には4つのボタンが配置され、機能を切り替えることができる。
LCDパネルの下にある長いボタンが印字ボタンだ。
本製品は、LCDパネルに表示された時刻などの情報を、手軽に用紙に印字できる画期的な製品だった。
印字内容は大きく2つに分類できる。
ひとつは、日時を印刷するモード。年月日のみと、時刻まで入れるものを選択できる。
年月日の並びは、日本式(2018-05-14)、イギリス式(14-05-2018)、アメリカ式(05-14-2018)に変更可能だ。
そして、使用する内容によって日時のあとにコメントを入れるモード。5つの文字(RCVD、SENT、IN、OUT、CFMD)をつけることができる。

印字は活字式で、数字と特定のアルファベットや記号が1本のベルト状になって内蔵されており、小型インクロールを介して打刻される。用紙は専用である必要はなく、平らな机上に敷かれた用紙の位置を本体下部のガイドで確認しながら本体を設置する。
時計用の水晶振動子と印字用のセラミック振動子を切り替えて動作するツインクロック4bitCPUを内蔵している。内蔵モータは活字ベルトを輪列を介して回転させることと、それを任意の位置に止めて用紙に押圧する2つの機能に使用されており、その機能は電磁クラッチにより瞬時に切り替わる。ハンマの桁上げとキャリッジリターンの切り替えも、モータからの動力のみによって行われた。
インクは油性で、上質紙、コピー用紙、半紙、藁半紙、タイプ用紙など、多岐にわたる用紙への印字を考慮したものとなっている。

これを職場に置いて、電話が来たらまずは自分のノートにメモを書き、電話を切った後に職場で用意された裏紙メモ(コピーに失敗したA4用紙を、断裁機で4等分し目玉クリップで束ねたもの)に転記。
そしてタイムプリンタの文字設定を「RSVD」にして、おもむろにメモに載せる。
位置を確認して、印字ボタンを押すと──
バダダダダダダダダダダダダダダダダ!
結構な音量で、マシンガンよろしくタイムプリンタの印字機構が唸りをあげる。
で、持ち上げれば、日時の印字完了である。
これがけっこう耳障りな音で、よく隣の席の係長から「おめー、それちょっとうるせーぞ!」って突っ込まれたものだ。
でもまあ、すでにわたしは「でもほら、電話を受けた日時が正確に記録されるんですから、音くらいいいじゃないですか」と言えるくらいには成長していたので、係長もそれ以上は突っ込んで来なかった。微妙な顔はしていたけど。

ほぼ毎日、タイムプリンタは稼働していた。
来る日も来る日も、爆音を上げて時刻を打刻していた。
わたしはタイムプリンタの性能に大満足だった。
しかし意外だったのは、係長も、先輩も、同期も、決してタイムプリンタを「貸してほしい」と言ってこなかったことだ。
こんなに便利なのに、なぜだろう。
確かに、日時を正確に手書きできるひとには不要なものだったかもしれない。
でも、タイムカードに打刻するタイプは世の中に溢れているが、手元の用紙に自由に時刻を打刻できるマシンはこれ以外に見たことがない。今でもタイムプリンタがあったら、いろいろ便利に使えるだろうと思うのだ。
残念ながら当時のタイムプリンタは転勤に伴い紛失してしまったが、もし再度の入手が可能だったら、今度こそは周囲に「これぜったい便利なんで使ってみてくださいよ!」って勧めまくりたい。
そして、いっしょに「バダダダダダダダダダダダダダダダダ!」を楽しみたいものである。