森市文具概論

【文房具キャスティング ~俳優としての文房具論】小説『オラクル・ナイト』(ポール・オースター)の「青いノート」

  • 2017年08月10日

■小説データ
『オラクル・ナイト』
ポール・オースター 柴田元幸・訳
新潮文庫 2016年1月1日発売

重病から生還した34歳の作家シドニー・オアは、リハビリを兼ねた散歩中、ある不思議な文具店で青いノートに魅了される。シドニーがそのノートに書き始めた小説とは……。謎めいた妻のグレース、壮年作家のジョン・トラウズ、中国人の文具店主M・R・チャン。無数の登場人物と物語の断片が重なり合い、やがて言葉と愛の本質を語り出す。作者は現代アメリカ文学を代表するポール・オースター。翻訳はオースター作品の対訳を多く手がける柴田元幸。
文庫

 


『オラクル・ナイト』は現代アメリカ文学を代表する作家ポール・オースターが2003年に発表した長編小説。オースターいわく「(前著『幻影の書』が交響曲だったとすれば)今度の本は弦楽四重奏」と語ったように、オースターらしい物語内物語(主人公が書いている小説の中にさらに小説が出てくる!)や断片的なエピソードが小刻みかつ幾重にも錯綜し、それらが互いに木霊するという複雑な構成をとっている。

本筋は、病み上がりの作家シドニー・オアの回復の物語。周囲の誰もが匙を投げた大病から復活し、四か月になるリハビリ期間をブルックリンの自宅で過ごしていたシドニーは、散歩の途中で偶然見つけた小さな文房具店<ペーパー・パレス>に立ちよる。黒、赤、茶、青と四色そろったノートを見つけ、中でも青いノートに心惹かれたシドニーは、早速買って帰り、自宅の仕事部屋で空白のノートを開く。作品のとば口となる霊感を待ち、やがてそれを捉えると、青いノートに小説のアウトラインを書き留めはじめる。妻グレースの帰宅にも気づかないほど、遠ざかっていた創作の歓びに身を沈めながら──。

たとえばそれは、編集者ニック・ボウエンの数奇な運命。今は亡き作家シルヴィア・マクスウェルの未発表原稿『オラクル・ナイト(神託の夜)』。廃墟の地下にある電話帳図書館。ダッハウ収容所での生涯忘れ得ぬ光景。医療費の返済のために引き受けたタイムトラベル映画のシノプシス……。こうしたストーリーの切れ端の合間に、シドニーの友人でベテラン作家ジョン・トラウズの回想や、遺児を産み捨てたあとに「仕事」を続けた娼婦の新聞記事、度を超して長い脚注などが雑然と投げ込まれ、多層性に輪を掛けている。

それでもなお、この物語が行き先を見失わず、頁を繰る手を休ませないのは、ひとえにオースターの淀みない語り口に拠るところが大きい。テンポのよい会話、惜しげもなく投入されるアイデア、くどすぎない情景描写に乗せられていると、いつの間にか本の半ばを過ぎている。その洒脱な文章は、主人公シドニーが青いノートに万年筆を走らせる様子とも重なり合っていく。シドニーと青いノートの関係は、文房具ファンが新たな文房具に身勝手に託す理想的な関係を完璧に捉えているように見える。

「言葉はすばやく、滑らかに、大した努力も要求せずに出てくるように思えた。驚いたことに、手を左から右へ動かし続けている限り、次の言葉がつねにそこにいて、ペンから出るのを待っていてくれるように思えた。」(P22)

創作の苦しみを知る者なら誰もが羨むこの境地。こうして火の着いた創作意欲で埋まりはじめた青いノートは、しかしやがて、シドニーの身に大いなる厄災を呼び込んでいく。超現実的な出来事はなにひとつ起こらないのに、この物語がどこか超現実的な気配を漂わせているのは、「物語を紡ぐこと」という行為の中にそもそも秘儀めいた神秘が潜んでいるからに他ならない。そして、その魔法陣の中心では人を魅了してやまない青いノートが鈍く妖しい輝きを放っている……。

文具ファンなら誰しも身に覚えがあるだろう。「あのノートを手にすれば、あのメモ帳やあの日記帳を手にすれば、きっと昨日よりはいくぶんマシなシロモノが書けるに違いない」。そんな哀れでいじらしい願いを胸に、私たちは今日もまた新しいノートに手を伸ばしてしまう。

重要なのは、それが筆記具ではなく、ノートであるという点だ。たとえば、内心にはち切れんばかりの創作欲を湛えてバルーンのように膨らんだ人間に、ペン先をぷすりと突き立ててみる。するとペンが一本の導管となって文字や絵が溜まったインクのように吹きだし始める──と、こうした創作のイメージは真っ当で健康的である。

ところノートの場合、白色に輝く無垢な紙面が、我々を誘うのだ。白紙を埋めるだけの価値ある言葉を書けと。主従関係は逆転し、書き手はまるで苦しみを伴う催眠術にかけられたよう。創作とは自分の中にあるものだけで組み立てるパズルではない。ノートという依り代を得て、茫洋としたなにかに形を与えようと藻掻きながら筆を進めているとき、自分でも考えてもいなかったような深みにうっかりと連れ去られてしまうことがある。あるいは、言葉にしたことで、現実のほうがその影響を受ける。それが創作という魔術的行為の一側面であり、ものを書くという行為の本質は案外こちらに近いのかも、と思わされてしまう。

オア夫妻を父親のように見守るベテラン作家ジョン・トラウズも、実はシドニーと同じノートを持っていることが物語途中で判明する。先輩作家として、青いノートの元所有者として、夫妻に秘密を隠し持つ(?)者として、ジョンはシドニーにこう忠告する。

「すごく親身になってくれるところもあるが、すごく残酷にもなりうるノートなんだ。ノートの中に迷子にならないよう気をつけなくちゃいけない」(P63)
「言葉は現実なんだ。人間に属するものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事を起こらせることなのかもしれない」(P300)

ノートは危険な自己啓発ツールでもありうる。ノートの中で「迷子」になったすえ、有りえぬ自分を捏造してまで「自己」を「啓発」してしまう。そこから生じる責任は自分でとるしかない。この小説の結末のように、青いノートを破り捨ててなお最悪と思えるような事態を迎えたあとでも、それでも確かに私の内なる声だと確信できたのなら、書き続けることにやはり意味はあるのだ。


■文房具キャスト
「ポルトガル製の青いノート」

「表紙は硬く、方眼の罫が入っていて、糸で綴じた紙はしっかり厚く、字もにじまなさそうだ。手にとった瞬間にもう、これは一冊買うしかないと私は決めていた。お洒落なところ、気取ったところは何もない、きわめて実用的な道具である。愚直で、月並な見かけで、使い易さがが第一、誰かにプレゼントするようなたぐいのノートブックでは全然ない。でもそれが布張りだという点が気に入ったし、形にも惹かれた。縦二三五ミリ、横一八四ミリだから、たいていのノートより縦が少し短く横が少し広い。なぜなのか自分でもよくわからないが、この縦横の比率が私にはひどく好ましく思え、初めて両手に持ったときにも、ほとんど肉体的快楽に近いものを感じた。突然の、説明しようのない幸福感だった。山にはノートは四冊しか残っておらず、そのそれぞれが違った色だった――黒、赤、茶、青。私は青を選んだ。」(P10)

主人公シドニー・オアが初めて青いノートと出会ったときの描写。メーカーは特定されておらず、ただ「現在は倒産したポルトガルの会社のもの」とされている。本書を読んでいる最中、筆者が頭の中で思い描いていたのは、伊東屋のオリジナル・ブランドである「カラーチャート」のクロスカバーノート・ネイビーブルー。サイズも造りも説明とは異なるのだが、それでも深い紺の色合いと上品な佇まい、そして何より筆者自身がかつてこのノートに「霊感」を求めたことがあるという記憶がそう思わせたのでしょう。

伊東屋「カラーチャート クロスカバーノート」