森市文具概論

【文房具キャスティング ~俳優としての文房具論】映画『風立ちぬ』の「計算尺」

  • 2017年09月08日

■データ

「風立ちぬ」(C)2013 Studio Ghibli・NDHDMTK

映画『風立ちぬ』
2013年7月20日発売
原作・脚本・監督:宮崎駿
声の出演:庵野秀明 瀧本美織 西島秀俊 西村雅彦ら

概要とあらすじ:太平洋戦争時、国産戦闘機「ゼロ戦」を設計した技術者・堀越二郎と、同時代に生きた文学者・堀辰雄の人生をモデルにした主人公・堀越二郎の若き日を描く物語。

飛行機に憧れていた二郎は、関東大震災や経済不況に見舞われながらも飛行機設計技師となり、運命的に出会った菜穂子と結婚する。しかし菜穂子は結核に蝕まれ、また悪化する戦局のなかで二郎の手がけたゼロ戦も最前線へと投入されていく。

宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」(2008)以来5年ぶりに手がけた長編作。模型雑誌「月刊モデルグラフィックス」での連載漫画が原作。宮崎監督は本作を引退作としていたが、2017年2月にそれを撤回。主人公・二郎の声を『新世紀エヴァンゲリオン』の監督で、宮崎駿監督とは師弟関係となる庵野秀明が務めたことも話題となった。

DVD情報
発売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン
価格:DVD2枚組 4,700円+税

■文房具キャスト

ヘンミ計算尺「計算尺」

[参考]写真は筆者所蔵の体重計算尺

 


■宮崎駿監督の最高傑作のひとつに登場する印象的な小道具

日本を代表するアニメーション監督・宮崎駿の引退作として2013年に公開された『風立ちぬ』は、飛行機づくりに取り憑かれた男の“創造的人生”の10年を描いた物語。

モノづくり、特にそのモノが宿す“美”に魅せられて邁進していく主人公・堀越二郎と、その二郎をありのままに受け入れて愛する伴侶・菜穂子の姿は、俗世間から浮き立ち、それゆえ緩やかな狂気を孕んでいるようにさえ映る。

そしてその狂気は、二郎が時おり幻視する、乳白色の空を翔ぶ飛行機のヴィジョンによってさらに強化される。とは言え本作は、そんな二郎と菜穂子を断罪するでも突き放すでもなく、どこか優しい眼差しで見つめている。

個人的には、この『風立ちぬ』は宮崎駿監督のフィルモグラフィーの中でも最高傑作のひとつだと思っている。大勢の技術者で賑わう仕事場の活気や、思わず溜息が出るほど優雅な飛行シーン、二郎の人生の転機にたびたび訪れる<風>の描き方など、アニメーションとしての見事さは言わずもがなで、さらにこれまで宮崎作品であまり意識することがなかった編集の巧みさやダイアローグの切れ味といった映画的快楽にも心底痺れた。宮崎駿は不世出のアニメーターであると同時に、きわめて優れた映画作家でもあったのだ……そんな当たり前の事実を今さらながら見せつけられた気がして、チクショウ、これで引退なんて勿体なさすぎるよ監督!

なんて嘆いていたら、どうやらすでに次作に向けて動き始めているようで。いやあ、本当によかったよかった。こんな傑作を届けくれるなら、これから何度でも引退し、それを撤回していただきたい。

閑話休題。そんな本作で、主人公の二郎がやたらと取りだす見慣れない道具が「計算尺」である。鉛筆や定規も魅力的に描かれてはいるが、観る者に強烈な印象を残すのは、その見慣れなさも含め、やはり計算尺だろう。

文房具と呼んでいいのかどうかさえ分からない、この奇妙な道具を紹介していこう。

 

■要所要所で登場する「計算尺」

とかくこの映画には計算尺が何度も登場する。

こんなに計算尺が登場する映画もいまだかつて例がないだろう。少なくともアニメーションとしては史上最高の「計算尺推し映画」だ。二郎は学生の頃からガシガシ使いこなしているし、飛行機メーカー「ミツビシ」に入社してからも常にその手から離さない。また、関東大震災で菜穂子の侍女のお絹が骨折したとき、たまたま居合わせた二郎が添え木として差し出したのも計算尺だった。後日、その計算尺は二郎のもとに返却されるが、二郎はそこで菜穂子と再会できなかったことから菜穂子への想いを意識するようになる……と、そんなベタな恋模様にも計算尺は一役買っているのだ。万能すぎる!

極めつけは物語終盤。二郎は結核で病床に伏せった菜穂子の手を握りながら、もう片方の手で巧みに計算尺を操って言う。

「片手で計算尺を扱うコンクールがあったら、ぼくはきっと1位になるね」

飛行機の設計、そして菜穂子との睦み合いと、この物語の両極──にして、おそらく等しくロマンチックな思いが込められたふたつの場面で、計算尺が登場するのだ。

二郎がミツビシに入社してはじめて自分のデスクに座り、意気揚々と計算尺を取り出して仕事にとりかかる場面は本作の中でも白眉のひとつ。その作画の美しさたるや、ほとんど官能的とも言えるほどだ。

一体なぜ、ここまで計算尺に重きが置かれているのだろう?

 

■計算尺とはどういう道具なのか

見た目は一見、定規そのもの。だが、実は長さを測ったり線を引いたりするのではなく、計算をおこなう道具なのである。様々な関数値の対数が目盛として刻まれており、数値に応じてスライドさせることで、掛け算や割り算、三角関数や平方根などの計算をするのだ。

電気・電子・化学・土木などの工学関連の計算のほか、利益率等の経営関連の計算、肥満度チェックやカロリー計算など健康関連の計算、心胸郭比、点滴速度など医療関連の計算など、特定の目的に応じて実に多種多様な種類が存在している。

使い方はコツをつかめば簡単で、筆者も中古の「体重バランス計算尺」を買って試したことがあるのだが、ものの数分で使いこなすことができた。

計算尺が生まれたのは17世紀。イギリス・フランス、そして中でもドイツ製のものが世界最高とされていたが、1920年代に入って第一次世界大戦が始まると、ドイツ製計算尺の生産が途絶えてしまう。そこで入れ替わりに表舞台に登場したのが、湿度や気温差でも変化しにくい「孟宗竹」を使った日本製の計算尺だった。

1930年代には日本の逸見(現ヘンミ)製計算尺がアメリカ・カナダへも輸出され、一時は世界シェアの80%、国内においては98%という圧倒的なシェアを誇っていたという。1960年代には年間100万本も出荷していたというから、いかに世間に普及していたかわかるだろう。

特に1970年代までは頻繁に使われていたようで、1950年代には中学校の義務教育に取り入れられていたり、中学生による全国大会が開催されていた。高価なものでは当時の給料の1か月分に匹敵するほどで、営業職のサラリーマンが自慢げに胸ポケットに忍ばせていた、ステイタス感のある道具だったらしい。

その後、職場や家庭に電卓が普及するまで、計算尺は身近なアナログ・コンピューターとして、身のまわりの複雑な計算をサポートしていたのである。

フィクションにおいては、電卓登場以前の科学者や技術者を象徴するアイコン的存在。有名なのは1970年を舞台にした映画『アポロ13』(1995)で、故障したアポロ13の姿勢制御の補正計算をする場面で登場した。工学分野の時代感の表現として、これほど簡素にして雄弁な小道具は他にない。

 

【計算尺の歴史】

1600年初頭 対数の発見。対数表の作成
1632年 イギリスの数学者ウィリアム・オートレッドが計算尺を発明
1895年 “日本随一の目盛り工”と言われた逸見治郎(へんみ・じろう/1878-1953)が計算尺の製作研究に着手
1909年 孟宗竹を使った日本初の計算尺が完成
1912年 逸見治郎の手により日本初の計算尺が完成。特許を取得
1920年頃 第一次世界大戦により、世界標準だったドイツ製計算尺の精算が途絶
かわりに日本製の計算尺が広く使われるようになる
1924年 逸見治郎商店が火災
1928年 世界的に普及している逸見の計算尺をかねてから評価していた資産家の大倉龜(おおくら・ひろし/1892-1960)が逸見にサポートを申し出る
「逸見製作所」(現・ヘンミ計算尺)を設立
1941年  日本、真珠湾攻撃。第二次世界大戦へ
戦艦の弾道計算用に計算尺が用いられる。戦艦大和も逸見の計算尺で設計されていた
1951年 計算尺が中学校の授業に採用される
1965年 ヘンミ計算尺のシェアは日本で約98%、世界では約80%
1980年頃 関数電卓の普及により、ほとんどのメーカーで計算尺の生産が中止される


■なぜ『風立ちぬ』に計算尺がキャスティングされたのか?

ではなぜ本作では計算尺がここまで大々的に扱われたのだろう。

ここで戦闘機と計算尺を生み出したふたりの「ジロウ」について考えてみよう。

本作の主人公・堀越「二郎」は飛行機設計に天賦の才を持ち、その技量を当時世界最高と謳われたゼロ戦の開発に注ぎ込んだ。

かたや実在の職人・逸見「治郎」は、13歳で中村測量計器製作所の目盛り職人となり、その後「日本一の目盛り工」と言われ、世界最高精度のヘンミ計算尺を生みだした。

計算尺もゼロ戦も、どちらも高い技術と工作精度、新素材の応用といった創意工夫で世界を驚かせたのである。

ふたりには他にも共通点がある。堀越二郎には本庄季郎という良きライバルがいたが、逸見治郎にも大倉龜という若き後援者がいた。逸見治郎が営む逸見治郎商店が火災で苦境に立たされたとき、資金援助を行い、ヘンミ計算尺株式会社を設立し、逸見治郎の世界進出を後押ししたという。ふたりのジロウはともに良き知己を得て、自身の夢に邁進することができたのだ。

そしてなにより、ふたりの発明品とも太平洋戦争によって大きく花開き、その役目を終えると静かに歴史の表舞台から姿を消していった。設計者の理想を大きく超え、人類の幸福と不幸、そのどちらにも大きく関わったのである。

こうしてみると、この物語に計算尺が大きくフィーチュアされたのにはそれなりに意味があるように思えてくる。もちろん、宮崎監督がこうした対応関係を意図していたとは考えにくい。だが、小道具ひとつとってもそこに否応なく重要な意味を塗り込めてしまう、これこそが優れた演出家の仕事なのだ。

 

■宮崎駿と「計算尺、戦闘機、そしてアニメーション」

そして筆者はつい、この物語の行く末に宮崎駿監督自身の姿を重ね合わせてしまう。

東京練馬区大泉、今は建て替えられた東映動画(現・東映アニメーション)スタジオの雑然としたあの佇まい。その屋内ではかつて、理想に燃える若きアニメーターたちが日夜、切磋琢磨しながら日本のアニメーションの未来を夢見ていたのだろう。その中には若き宮崎駿や高畑勲の姿もあったに違いない。本作でミツビシの設計部が理想化された“創作的モラトリアム”として描かれるのは、宮崎監督の青春時代、その甘やかな回想が下敷きとなっているのではないか。

二郎はまた、矛盾を抱える人物でもある。貧困にあえぐ子どもに同情を寄せながらも、巨費が投じられた戦闘機開発に身を投じる。オレたちは武器商人じゃない、飛行機は美しくも呪われた夢だ、とうそぶく本庄季郎や師・カプローニ伯爵の言葉を耳にしながら、彼のゼロ戦は戦地へと飛び立ち、そしてそこから二度と帰ってくることはなかった。いかに工学的に美しかろうが、戦闘機の本質は殺戮と破壊にある。事実、本作は欧米でそのような批判にもさらされたし、無邪気と言えばあまりに無邪気との誹りは免れないだろう。

そして、こうした無邪気さ、あるいは矛盾は、宮崎駿自身が抱えるものでもある。

戦争を厭い、物質主義的資本主義に反発を覚えながらも、どうしても車やメカ、銃や兵器といったミリタリー趣味に惹かれてしまう。命なきものに生命を宿す芸術「アニメーション(Anima-tion)」はその特性上、無機物や生命力に溢れた子どもを表現するのに向いている。しかし、今のアニメではいったいどれだけの必然性を持って子どもやメカが描かれているというのか。彼が生涯を捧げた日本のアニメーションは、今や世界的に見てロストテクノロジーとなりつつある。

本作のラストで、二郎の目の前からゼロ戦と妻・菜穂子が去って行く。なにも遺らない。すべては終わった。虚しさだけがある。間違っていたのかもしれない。

しかし、それでもなお、二郎は生きねばと思う。なにもかもが失われたあと、それでも誇りに思えるなにかが彼の胸にはあったのだ。そのことに我々は深く感動する。

計算尺とは、異なる価値観同士を結び、そこから新しい解を導き出す装置である。言わば、未来を創り、新しい価値を生み出す道具。それは宮崎駿にとっての「アニメーションという道具」についても言えるだろう。計算尺、戦闘機、そしてアニメーション。宮崎駿にとってそれらは、その内に大きな矛盾と虚しさを孕みつつ、それでも抗いがたくロマンチックな存在なのである。

■参考
ヘンミ計算尺株式会社