■データ

映画『後妻業の女』
2016年8月27日公開
監督・脚本:鶴橋康夫
原作:黒川博行「後妻業」
出演:大竹しのぶ、豊川悦司、永瀬正敏、尾野真千子、長谷川京子、笑福亭鶴瓶、津川雅彦ほか

概要とあらすじ:
直木賞作家・黒川博行の小説『後妻業』を実写映画化。資産を持つ裕福な独身の老人の後妻に収まり、多額の遺産をせしめる「後妻業」の女を大竹しのぶ、彼女とグルになって老人たちを騙す結婚相談所の男を豊川悦司、そのネタを追いかける探偵を永瀬正敏が演じている。監督は『愛の流刑地』『源氏物語 千年の謎』の鶴橋康夫監督。

DVD情報 価格:3,800円+税 発売元:東宝

■文房具キャスト


モレスキン クラシックノートブック(モレスキン)

19世紀末に誕生し、ゴッホやピカソ、ヘミングウェイらも愛用したと言われるフランス製のノートをイタリアのメーカーが復刻。高級ノートの代名詞的存在で世界中にファンを持つ。撥水加工の黒い表紙と表紙を閉じるためのゴムバンドが特徴。


BOXY-100(三菱鉛筆)
1975年発売。ノック式油性ボールペン。ノックと胴軸側面のボタンを押してペン先を出し入れする。2006年に復刻版が発売された。

 

 


■古臭くも良質な「大人のコメディ」

そもそも最初は、それほど見たいと思う映画ではなかったのだ。タイトルも、予告編の印象も、ストーリーも。タイトルも、予告編の印象も、そもそもストーリーも。ま、お年寄り向けのぬるたいコメディなんでしょ? ぐらいの舐めた態度でスルーする気満々だったところに、毎週土曜日のラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」で宇多丸さんがこの映画のガチャを引き当てたため(そういうシステムがあるんです)、スタッフとしてしぶしぶ付き合いで見たのだが……。

これが、すこぶる面白かったのだ。

裕福な老人に色香で近づき、後妻の座におさまってじりじりとその死を待ち(時には積極的に死に向かわせて)遺産をせしめる「後妻業」なる女。本気でやればどこまでもダークに描けそうなこのモチーフを、伊丹十三的と言っていいのか、社会派風ブラックコメディとして非常にスマートに仕立ててある。画面のルックはいかにも古く、コメディシーンもベタではあるのだが、俳優たちはいきいきと楽しそうだ。また、描き出される善悪のあわいは曖昧で、決して独善的な価値観を押しつけてこない。いわば余白の効いた「大人の娯楽作」として、つくり手の矜持を感じる作品だったのだ。戯画的なのはあくまで表面上のみで、その奥底には人の営みへの深い眼差しがきちんと行き届いていたのである。

■調査といえば私立探偵、私立探偵と言えば「黒い手帳」

物語の中盤、後妻業の女に遺産を奪われそうになった娘姉妹(尾野真千子と長谷川京子)が、本多なる私立探偵に捜査を依頼する。裏稼業を専門にした調査員で、ぶっきらぼうな口調に「ぼく」という一人称が妙に耳につく、くたびれた空気を身にまとったこの男。

これまたマンガチックなキャラクターで……と思いながら見進めていると、これまた絶妙に「ほんとにいそう」なバランスに落とし込んである。一見カリカチュアされていながら、人間としての奥行きもしっかりとある。これは本作全体のバランスとまったく同じだ。演じている永瀬正敏の力量も大きいのだろう。最近は昔ほど見かけなくなったが、それと反比例して役者としての円熟味はどんどん増しているように思う。河瀨直美監督の『光』もよかったなぁ……などとという話はおいといて、その永瀬正敏の好演により、「やさぐれてはいるが、性根までは腐りきっていない(そしてその奥にさらにもうひとつ隠し底を持つ)」というこのキャラクターに確かな実在感を与えているのだ。

そして、探偵といえば、黒い手帳。ご多分に漏れず、本多が調査の間に取り出してメモをとる手帳は、やはり黒光りする小さなメモ帳なのだ。

■バージョンアップされている黒い手帳

胸ポケットから取り出した黒い革手帳を開き、鉛筆を舐めてサラサラとメモを取る……そんなベタな「探偵しぐさ」が本作にも登場する。が、その手帳とペンのキャスティングにひとひねりがあるのだ。

使っている手帳はモレスキンノートブック。世界一有名な高級手帳として知られ、当連載においては最多登場、そしてこの先も登場し続けるだろう。今、モレスキンがフィクションの中にキャスティングされる意図は主にふたつある。ひとつは「ハードな使用環境にも耐えうるタフなノート」(『アンチャーテッド』の回参照)として、そしてもうひとつは「オシャレな見た目でブランド力のある高価な手帳」(『永い言い訳』の回参照)として、だ。

本作ではおそらく前者の理由でキャスティングされている。本多は表紙にわざわざペンホルダーを取りつけており、オシャレに見せるような扱い方をしていない。むしろ日頃からよく使い込んでいるようで、慣れた仕草でゴムバンドをさっと外し、メモを書き付けるシーンが2度ほど出てくる。

そしてなにより絶妙なのが、このモレスキンに併せているボールペンが、「BOXY」のボールペンだということだ。

懐かしい! と思う人は40代以上だろう。BOXYは1975年から約10年に渡って販売されていたステーショナリーブランドで、中でもバネの力でノックパーツがパチンと飛び出すボールペンは「パッチンペン」とも呼ばれ大流行した。「スーパーカー消しゴムを弾く装置」としてお世話になった人も多いだろう。2006年に復刻され、文房具店の伊東屋ではオリジナルモデルが販売されるなど、今なお目にすることがある。

このBOXYボールペン、軽くて握りやすく、見た目も40年以上前としてはそれなりにイケているが、それ以外に現代ボールペンより優れている点はほとんどない。言ってしまえばただの普通の油性ボールペンであり、少なくとも今なおスペシャルなモレスキンと釣り合う筆記具とは到底言いがたいのだ。

■意外性があるが説得力のある優れたキャスティング

『永い言い訳』では、小説家の主人公にモレスキンとジェットストリーム・ボールペンを持たせていた。この組み合わせはつまり、高級ノートで「ええかっこしい」の一面を表しつつ、一方で実用性の高いボールペンで作家としてのギリギリの誠実さも示す、主人公の多層性をふたつの文房具のギャップで表現するものだったのだ。

『後妻業の女』はこの演出プランと似ている。だがしかし、本作の文房具キャスティングからより伝わってくるのは、どちらかと言えば「無雑作感」だ。実用性重視ではなく、かといって安物一辺倒でも、もちろん見栄えを重んじているわけでもない。当然、ノスタルジーでもない。どちらともつかぬ、「そこにあったから使っている感」は、本多の図太く直線的な性格を的確に表しているし、また、簡単な割りきりを拒む感じは、この映画全体のモードととても相性がいいのだ。

意外性があり、でもなぜか説得力もあり、想像が膨らむ。意図的にせよ無意識にせよ、これはやはりナイスキャスティングというべきだろう。あまりにフレッシュな取り合わせ過ぎて、映画を見終わったあとすぐBOXYを買いに走ったほどだ。

この文房具キャスティングはどこまで意図されたものかわからない。だからといって、まぐれと言い切るのはいかにも浅薄だろう。モノへの知識があろうとなかろうと、描きたいものさえ明確であれば、小道具のセレクトひとつとっても最適解へたどり着ける。そのよい見本がここにあるのだ。

登場人物の服装がキャラクター演出を担うように、文房具のキャスティングもまたキャラクター演出の一部を担う。ならば、文房具専門の「スタイリスト」がいたとしてもなんら不思議はない。

というわけで、映画関係の方からのご連絡お待ちしています。