なぜそこまで頑迷に防護せねばならなかったのか。
それはデジタルに「儚さ」を感じていたからである。

大学に入って、ワープロを購入した。
富士通のOASYS Lite-K FD20という機種だ。
1986年9月のことだった。

ワープロという名の機械は、2017年の現在もうどこのメーカーも発売していない。
その機能は完全にパソコンに吸収されたと言っていい。
入力専用機としてのポメラはあるが、わたしがここで言う「ワープロ」は狭義の「日本語入力/出力機」のことで、出力とはプリントアウトを指す。
家庭用ワープロが発売された当初、内部メモリに残された入力情報をデータとして外部保存する手段は、すべての機種に装備されていたわけではない。プリントアウトが唯一の出力方法だったものも多かった。
その後、フロッピーディスクドライブを外づけできる機種や、ドライブを内蔵する機種が各社から発売された。
わたしがはじめて買ったワープロは、そのドライブを内蔵した最初期のものだ。

そもそも、フロッピーディスクとは何か。
コンピュータのデータを磁気媒体によって記録あるいは読み出す際に使用される、取り外し可能な樹脂製の円盤のことである。
フロッピーとは「ふにゃふにゃしている」という意味。フロッピーディスクはその名の通り、薄いぺらっぺらの円盤である。最初期に出現した8インチディスクや、その後主流となった5.25インチディスクは封筒のような薄い樹脂製の保護ケースに入っており、持ったときにその柔らかさを実感できたものである。アクセスのための窓からディスクの磁気面が剥き出しだったので、埃に弱い構造でもあった。

80年代初頭より普及していった国産パーソナルコンピュータにおけるデスクトップ筐体には、多く5.25インチディスクが採用されていた。だが80年代半ばより普及し始めた家庭用ワープロは、最初から小型の3.5インチディスクが採用されていた。
ソニーによって開発された3.5インチディスクは、硬いプラスチックのボディと磁気面を守るスライドシャッターが搭載されていた。5.25インチディスクは磁気面が剥き出しだったが、それが3.5インチではシャッターによってそれが守られるようになったのだ。

推理SF研究会に入会し、小説を書くようになったわたしは、書いたデータをせっせとフロッピーディスクに保存していた。
ワープロ各社でフォーマットが異なるため、保存されたデータはそのメーカーのワープロでないと読み出すことはできない。ワープロ本体で専用フォーマットを施し、それからデータを書き込んでいく。
ただ、専用フォーマットと言いつつも、しょせんはテキストである。さほどデータを食うわけでもない。当時普及していた2DDタイプでは容量は1枚当たり720KBしかないが、それでもカタログスペックで約23万文字──小説なら文庫の1冊や2冊、余裕で格納できるものだった。
長編小説、短編小説、エッセイやシステム手帳用フォーマットなど、分類して保管してはいたが、大学生でサークルに参加していた3年間で書いた作品でも、フロッピーディスクが5枚を超えることはなかった。

磁気媒体である以上、何か問題があればデータを読み出すことができなくなる。
ディスクはここにあるものがオリジナルで、バックアップはない。
わたしが買ったそのワープロには、フロッピーディスクをバックアップできる機能がなかったのだ。
内蔵メモリに入ったデータをフロッピーディスクに保存ことはできる。
フロッピーディスクに入ったデータを呼び出すこともできる。
ただ、それは内蔵メモリ7,200文字分に限っての話だ。
OASYS Lite-K FD20は、7,200文字までしか文字を綴ることができない。それ以上はフロッピーディスクに分割して保存せねばならない機種だった。
わたしの小説は会誌に連載する形式だったので、この上限に掛かることなく書くことができた。長いエピソードは章を分けることで対処した。
だが、フロッピーディスクに保存されたデータは、各章ごとでないとワープロに読み込むことはできない。フロッピーディスク1枚分のデータをまるまる読み込むことができないし、ドライブがひとつしかないこのワープロでは、ディスクのコピーができないのだ。
もちろん、ひとつひとつデータを読み込み、ディスクを代えて別のディスクに書き込む──という作業は可能である。しかしながら、それはあまりに面倒くさいし、わたしの性格上どちらが最新のディスクなのかを間違えるに決まっているので、躊躇せざるを得なかった。
つまり、結果として、ここにあるディスクが唯一の存在。データが消えたらおしまいである。
デジタルデータの消失という、今までの人生になかった脅威と戦う必要があった。
敵は──埃と水と磁気、だ。

その当時、部屋にあるのは、狭い机がひとつだけ。
抽斗がないタイプだったので、モノは机上に置くしかない。
机上には必ず埃が舞う。
飲み物を置くことが多いので、転倒により水飛沫がかかる可能性もある。
磁気に関してはマグネット等の物体を近づけないことも重要だが、CDラジカセが常に机上にあったので、スピーカーの影響も看過できない。
所持枚数が多くないので、コンパクトなもので、この3つの敵を遮断できるケースが欲しかった。

ワープロが普及するにつれ、フロッピーケースも各社から数多く発売されていた。
中でも目を引いたのが、キングジムから発売されていたmbシリーズのフロッピーケースだ。
とにかく過剰だった。オーバースペックのフルアーマーケースだ。見た目が無骨で実にかっこいい。
全身が金属でできている。隙間なく覆われた蓋を閉めてさえいれば、埃など入りようもない。
完全防水ではないが、ケースを水没させない限り水滴が内部に侵入することは考えにくい。
金属製のボディは磁気の内部侵入を遮断する。その表面には衝撃に備えバンパー効果を狙った膨らみが設けられている。蓋の内側には分厚いクッションが貼られており、これで仕舞い込まれたディスクにテンションをかけ衝撃を緩和している。
丸く切られた覗き窓から、フロッピーディスクの有無が確認できる。中のディスクが見えるのはいいのだが、ここは磁気遮断における唯一の弱点でもある。ただ、マジンガーZが全身を超合金Zの鎧で覆われていながら、ホバーパイルダーの風防を最大の弱点としている点にも似て、むしろ燃える設定であると当時は思っていた。

完璧だった。
求めている性能の総てがここにあった。
後にワープロだけでなくパソコンを併用するようになってソフトウェアを含むフロッピーディスクの枚数が膨大に膨らむまで、mbケースはメインで使用され続けた。
このケースに入れていたフロッピーディスクで、データ破損したものは皆無だった。

その後、90年代中頃からは執筆マシンがOASYSからMacに代わったため、小説の入ったディスクはMS-DOSコンバートをかけられ、テキストファイル化された。テキストファイルはMacのハードディスクに格納され、オリジナルであるフロッピーディスクは不要となった。Mac用のソフトウェアもフロッピー供給からCD-ROM供給に移行し、フロッピーディスクは手許から次第に姿を消していく。

21世紀に入り、インターネットやイントラネットが普及し始め、軽量なデータを手渡しするスニーカーネットワークも終わりを告げた。フロッピーディスクドライブがついたマシンは、いまわたしの周りには一台も運用されていない。
すでにレガシーとなったフロッピーディスクだが、ここまで過保護に扱われたメディアも珍しいのではないだろうか。OAブームの中、各文房具メーカーも様々なOA関連の製品を生み出していたが、各社とも特徴を出すために工夫をした結果、このような磁気遮断性能合戦のようなことも行われていたのだ。
mbケースは、まさに時代を現す文房具であると言えよう。いま手許にあっても使い道はないが、時代の象徴として手許に置いておきたい逸品である。