まず、「デミタス」が登場する。
市販のホッチキス針No.10は50本でひとつの塊になっている。発売当時、デミタスはこの50本の針を内蔵する、世界最小のホッチキスだった。
デミタスは優秀なホッチキスだった。携帯性に優れ、実用も問題がない。そしてかわいい。デミタスは注目され、若い女性を中心によく売れていた。
次にプラスは、このデミタスを中心とした「OLが持っても恥ずかしくない実用文房具セット」を考案する。
デミタスを中心としたチームなので、本商品は「チームデミ」と呼称された。
このチームデミは、デミタスを上回る大ヒットとなった。
わたしがこの製品を初めて見たのは、大学があった静岡県三島市の文房具店である。
店の外から見える窓越しのチームデミは、明るい赤色をしていた。
スポンジに填まり、整然と並ぶちいさくてかわいらしい文房具たち。しかしそのどれもが「実用品でござい」という顔をして、使ってくれ使ってくれとせがんでいる。
欲しい。猛烈に欲しい。
だが、まだアルバイトも始めていなかった大学一年生には、2,800円(まだ消費税は導入されていなかった)という価格は全くもって手の出ない価格帯だった。
わたしは購入を諦めた。
後日、わたしは地元ラジオ番組へのはがき投稿の景品として、念願の赤いチームデミを手に入れることになる。
製品が発売されたのが1984年、わたしがラジオ番組からチームデミを入手したのが1986年。
わずか2年でチームデミは、地方ラジオ局の名入れ景品に登場していたのだ。時代はバブル需要に入ろうとするころ──平成景気は1986年12月から始まったとされている──である。以降、バブルが崩壊するまで、チームデミは様々な局面で贈り物や景品に使用された。
そして雨後の筍のように類似品と模造品が市場に溢れ、一時期のディスカウントショップにはセット文具コーナーが生まれるほどの活況を呈することになる。
当時、チームデミに不満がなかったわけではない。
そもそも大きさのわりに分厚い。重くはないが、持ち歩くにはケースに厚みがありすぎる。
それとこれはわたしの貧乏性から来ているのだが、消耗してしまうカッター、メンディングテープ、液体のりがなくなったら補充交換できないので、どうしても使用をけちってしまうのだ。
そんなチームデミが産み出した「小さなモノを持ち歩く」文化は、ミドリの「XSシリーズ」ステーショナリーキットに色濃く残されている。
文房具は手許にあって、はじめて真価を発揮する。その際、セット文具は知的生産のレスキューツールとなりうる存在である。デッドウエイトにならない範囲で持ち歩きたいものである。