昔から、趣味で小説を書いていた。
大学では推理SF研究会と漫画研究会に所属し、SF研では小説を書き、漫研では漫画を描く。
大学を卒業しても、小説を書く趣味はそのまま残った。
OBのためのサークルを、先輩たちが用意してくれていたからだ。
アイデアは、どこから降ってくるか判らない。
だから、わたしはメモを手放さない。
それはこの、大学時代の創作意欲溢れる時代に培われたものである。
市浦潤さんの著書『文房具 知識と使いこなし』(新潮文庫・現在絶版)に出会ったのも、この多感な大学生の頃だった。
本書から得た文房具に関するインスパイアは枚挙に暇がないが、当時実践していたのが「5×3カードを尻ポケットに入れて歩く」ことである。
白紙の5×3カードを左ポケットに入れ、メモを取ったら右ポケットにしまう。そして帰宅後、カードボックスにカードを整理するのだ。
これはいい、とわたしも真似をした。社会人になってからはスーツのポケットがあるので尻ポケットは使わなくなったが、それでも休日は尻ポケットに5×3カードが標準の装備だった。
紙の持ち歩きは問題ないが、ペンの収納には頭を悩ませていた。
特に夏の間、Tシャツにジーンズで出かけたときは、前ポケットだろうが尻ポケットだろうが、ボールペンをズボンに突っ込んでおくと邪魔になって困ったのだ。
当時は腰に着けるウエストポーチはダサファッションで、ペンダント状に首から提げるペンケースは見たことがなかった。だから鞄を持たず手ぶらで街に出たい場合には、不便を押して尻ポケットにボールペンを入れていた。
そしてたびたび起こる、紛失や破損。
書きたいときにペンがない、あるいは中央からぽっきり折れている──これほど情けない状況はない。
仕方なく鞄を持って出かけるわけだが、ペンを取り出す手間を嫌ってメモを逃すという本末転倒もしばしばだった。
夏になるたびに悩んでいた「ボールペンの携帯問題」に終止符を打ったのが、ぺんてる初の油性ボールペン「まがりんぼーる」だった。
店頭で狂喜乱舞し、購入後に店から出てすぐ尻ポケットに突っ込み、鼻高々に街を闊歩したあの日のことを今でも鮮明に思い出すことができる。
しなって尻にフィットする感触。取り出して、軸をひねることでスクリューのようにジャバラ部分が覆われ、かちっとはまった以降はびくともしないストレートの軸。
待ち望んでいた「街メモ対応尻ポケット専用ボールペン」が、ついに目の前に現れたのだ。最高の気分だった。
その後、休日には必ず身体に装着して出かけていたまがりんぼーるだったが、わたしの「まがりんぼーる最高!」気分はそう永くは続かなかった。
当時わたしの持つ筆記具は、「字を書くための水性ボールペン」と「絵を描くためのシャープペンシル」に大別されていた。
文字が黒々とくっきり書ける水性ボールペンが好きだったわたしにとって、油性ボールペンであるまがりんぼーるの書き味や線の濃さは、お世辞にもいいものとは思えなかったのだ。重く、薄く、ダマのできやすい──それは他社製品の書き味にも遠く及ばないものだった。
それでも、このヒップベンディングスタイルに助けられたことは一度や二度ではない。
浮かんだ小説のネタをメモする(これがメイン)。
初めて訪れる路線の時刻表や運賃をメモする(作業があるため私服で出張することも多かった。日誌で報告する必要があったからメモは必須)。
宅配便の複写式伝票を書く(水性ボールペンでは一枚目を破ってしまうことがあった)。
街歩きで発見したトマソンの住所と撮影データを書き記す(まだカメラがフィルム一眼レフで、露光データなどをメモするのにも使用)。
気になるファッションや看板、風俗などを簡単なイラストで記録する(考現学にハマっていた時期だった)。
他人に請われたときすぐにペンを貸してあげる(たいてい驚かれて喜ばれる)、等。
身体に沿って常に持ち歩くことのできる唯一無二の筆記具だっただけに、後継品が続かず、すぐに市場から姿を消してしまったのが実に残念である。
そしてまがりんぼーるが入手できなくなったあたりから、わたしも尻ポケットメモシステムをやらなくなってしまう。
仕事が生活の中心となり、趣味の時間が圧迫されて小説を書けなくなり、プライベートに街歩きしながらメモを取ることが減ったからだ。
ひとは変わっていく。その場に必要な文房具も変わっていく。ひとと文房具の関わり合いに、終わりはない。ただ変わっていくだけなのだ。