必要は発明の母、とはよく聴くフレーズである。
だが、わたしにとって必要は「発見の母」である。
発明するほどの知恵はないが、けっこう鼻は効くのだ。

大学に入り、はじめて独り暮らしを経験した。
一年生のときにいた三島市でも、二年生以降に移った東京でも寮だったので、衣食住のうち「食」と「住」に関して心配はなかった。
大学生になってもっとも困難を憶えたのは、「衣」の問題だった。
服を買うこと自体は、店に慣れればどうということもない。日常の洗濯も、これまた慣れの問題だ。
最高に困ったのは、衣服の修繕──ボタンが取れたり、ちょっとほつれたり、といった日常のケアの問題だ。

小学校で裁縫は習った。
まったくできないわけではない。
ボタンが取れたくらいなら、自分で直したいと思う。
でも、自室に裁縫セットを常備するほどの頻度でもない。
むしろ、あれはレスキューツールで、外で使う小型のものがあれば充分だった。
掌に収まるようなコンパクトなものを三島のヤオハンで購入し、うちに置いていてもあまり意味がないと考え、鞄に入れて持ち歩くようにしていた。

だが、やはりわたしはわたしだった。
元来、忘れっぽい性質である。ものも簡単になくしてしまう。
ころりと丸いハンディの裁縫セットは、使われないままいつしか紛失の憂き目に遭っていた。
いざ欲しい! という瞬間に、あいつは側にいないのである。

ちょうどその頃、システム手帳のブームが起きて、文房具業界に新たな製品群が生まれた。
カード型文具、と後に呼ばれるものだ。
だいたいクレジットカード程度の大きさの板状で、ものによって厚みは異なるが、システム手帳のリフィルのひとつ「カードホルダー」に収まるように設計されているのが特徴だ。
バイブルサイズだと、縦に3枚、カードが収まる。
クレジットカード、会員カード、名刺、診察券──カード状のものなら何でもここに収納できるが、カード型文具の登場により、薄型小型になった文房具も収納できるようになった。
この製品群の登場により、わたしの夢がまたひとつ叶うことになる。
すべての情報をシステム手帳に。
そして、すべての生活をシステム手帳に。

この流れで、わたしが本当に欲しいと思った製品が誕生した。
ALLEXの「プレイトン」である。
中心に小型はさみを備え、その左右に安全ピン、まち針、縫い針、縫い糸2種、そして袖用の小型予備ボタンを内蔵した、カード型の裁縫セットである。
これを発見したときは、ちょっと小躍りしたことを憶えている。まさに「我が意を得たり!」の瞬間だった。
そしてプレイトンを得て、わたしのシステム手帳はパーフェクトなものとなった。
これ一冊で生活できる。忘れっぽいわたしでも、ここに必要なものが集約されていれば、使えば必ずもとに戻すし、なくすこともない。これさえ持ち歩けば、困ることはなにもないのだ──と、当時は本気でそう思っていた。
ペンがある。メモがある。スケジュールがある。地図がある。路線図がある。定規もある、電卓もある、カッターもある、切手もある、非常用のお札もある。クレジットカードは持っていなかったけど、テレホンカードとオレンジカードも入っている。
中でもプレイトンは、いざという時本当に役に立つカード型文具だった。
大学で同級の女子たちからも、これだけは「いいな! 欲しい!」と言われたものだ。飲み会で披露したらテーブルの端から端まで回覧され、彼女たちは輝く目で勝手にはさみを取り出したり糸を繰り出したりしていた。その様を、酔っていたせいもあって実に誇らしい気分で見ていたことを思い出す。
日頃、わたしの分厚いシステム手帳そのものは、彼女たちからは理解できない異質なものとして、ちょっと引かれていたのだが。

ここで「ちょっと待った!」という気持ちになった読者もいるかもしれない。
プレイトンはカード型裁縫セットではあるが、カード型「文具」ではないのではないか? と。
その気持ちはよく分かる。
この連載でプレイトンを取り上げた理由は、ふたつある。
ひとつは、本製品が文房具店の店頭でも取り扱われ、当時のわたしがまさしく「カード文具だ!」と認識して文房具店で購入し、使用していた点。
もうひとつは、ALLEXというブランドが、事務用ハサミで著名な林刃物株式会社のものだという点。わたしとしては「ALLEXのはさみが入っているなら安心できる」し、紙でも綺麗に切ることのできるプレイトンの小型はさみは、文房具としてもたびたびわたしを助けてくれたからだ。
ボタンが取れそうになったのをつけ直したい。
服から糸が飛び出しているのを切りたい。
プレイトンを使う機会はだいたいそのふたつだったが、それ以外にも「切りにくい袋やビニールパッケージの切り口を作りたい」とき、刃物を持ち歩かないことが多かったわたしにとって、プレイトンのはさみはレスキューツールであり、文房具そのものだった。

ただ、今から考えると、紙を切ってはいけないはさみだったのかも、とは思う。
それで切れ味が鈍っても、まったくもって自己責任である。
はさみだけの別売りがなかったのだから、もっと大切に扱うべきだろう。二十歳そこそこの自分を叱りつけたい気分である。

あと、何度考えても解せないのは、入っている縫い糸の色が黒と赤の2色だったことだ。
赤い糸ってそんなに頻繁に使うだろうか。
黒以外の糸が白とか紺とかグレーとかなら理解できるのだが、赤い糸を使うほど80年代のひとは赤い服を着ていたのだろうか。
個人的には「かっこいいから」入っていたんだろうと推測しているのだが、真相は闇の中である。