ワープロという機械をご覧になったことはあるだろうか。
ここでいうワープロは、パソコンにインストールされるソフトウェアのことではなく、画面とキーボードと(多くは)プリンターを一体化させた文書作成印刷機のことを指す。
わたしは「ワープロは筆記具だ」という意識を持っていて、20世紀末に大流行したワープロはタイプライターと同じく文房具に分類されると信じている。

そして、今回紹介する製品は、ワープロであり、電子文具であり、そして何より筆記具であるとはっきり断言できる、まさに時代の徒花である。
その名をワープロバンク2と言う。

時計の針を1989年に戻そう。平成が始まった年だ。
時代はOAブームとも呼べる時期だった。
オフィスオートメーション化された職場からは紙がなくなり、将来的には筆記具および文房具全般がその出番を大きく減らすのではないかと言われていた。
唯一の光明が、OA機器とそれに付属する消耗品だと思われていた。そんな時代の話である。

わたしはまだ大学生だったので、そういう職場での激変を知らない。身近にあるOA化と言えば、大学生のバイト代でも買えるようになったワープロと、大学周辺にやたら存在していたコピーショップのコピー機たちだけだ。
最初にワープロを入手したのは、1986年。
それで小説を書くのが、わたしの趣味だった。
わたしのワープロ選択のキモは文書作成能力と保存能力、続いて版下としてのプリント能力だ。
ただ一般的には、その当時重要だったのは文書作成機能ではなく、むしろ「プリントアウトで何ができるか」だった。

オフィスでなく家庭にワープロが普及した最大の理由が「年賀状作成」だったからだ。
毎年の年賀状を作成するのはもちろん、プリントアウトによって家庭内でも便利になる対象が当時はたくさんあった。
その中でも最たるものが、ビデオテープのラベルシールだった。

ビデオテープをいうものをご覧になったことはあるだろうか。
細長い弁当箱のようなプラスチックのケースに、磁性体の塗布されたテープがリールに巻かれて収納されている。テープじたいを指で触ることができないように、可動式のシャッターがついている。
そのシャッターの反対側──ビデオデッキにテープを挿入する際に手前になる背の部分に、そのテープに何が録画されているのかを記入するシールを貼るくぼみがある。
テープ表面中央に貼る四角いラベルシールと、背に貼る細長いラベルシールが予備を含め用意されていた。

ビデオテープは、VHSとベータというふたつの異なる基準によってまったく形の違う製品が2種類発売されていたのだが、互いに共通していたのは、このラベルシールを貼らないと何が録画されているのか後でまったく判らなくなってしまう、という点だった。

わたしの使っていたナショナルのマックロードはVHS機だったが、当時は最大でもビデオテープ1本で120分しか録画できなかった。ビデオテープの単価は下がり始めていたが、それでも少ない手持ちからビデオテープに回せる金額は決まっていたし、そもそもビデオテープはでかくてかさばって収納にも困る代物だった。
だから経済的な理由で3倍モード(画質を落として120分テープに360分録画できる方法)を多用していたが、背ラベルを正確に書かないと、あとでどこに何が入っているかまったく判らなくなる。
だから、背ラベルは書きたい。
しかしながら、自分の字で書いた背見出しがずらりと並ぶことほど気持ちの悪いものはない。
自分が見ても嫌なのだ。とてもではないが、このテープの並んだ部屋にひとは呼べない。
当時は学生寮だったので、外部から友人が来訪することは稀だったが、部屋に来た寮生にはテープが丸見えになる。
そこに自分の字が並んでいる。カラーボックスを占拠している。なかなかに恥ずかしい光景である。できれば何とかしたい。

ワープロバンク2は、その手書き背ラベル問題を解決する画期的な存在だった。
位置決めした用紙にまっすぐ印字することにのみ特化したこのハンディワープロは、背ラベルの作成に絶大な効力を発揮した。
わたしはワープロバンク2を入手し、それまで手書き背ラベルだったテープを取り出し、せっせと背ラベルを印字し直して貼り替えた。
手で書いて、握って、印字する。直感的で判りやすい。作業はたいへん楽しかった。暇つぶしにも最適だった。至福のひとときだった。

部屋を訪れた寮生たちにも、この背ラベルは評判だった。テープをひとに貸すときも安心だった。標準モードで録画されたテープ(たいていは洋画劇場などで放映された映画)なら作品タイトルを、3倍モードで録画されたもの(日々のテレビ番組など)なら「昭和64年1月1日〜平成元年1月31日」のように、録画時期を印字して活用していた。

21世紀になってビデオテープは姿を消し、手許にあるワープロバンク2も電源こそ入るが、感圧式液晶が文字を認識しなくなってしまっている。
もう手元のこれは、ワープロでも電子文具でも、筆記具でもない。
電子機器の寿命は短く、儚い。
電子文具の話題はたいていしんみりした締めくくりになってしまうが、使っている当時は画期的で楽しく、有用だったのだ。
だから、せめてわたしだけは、使ってきた製品たちを忘れないようにしたい。
ありがとうワープロバンク2。
きみのことは決して忘れないよ。