ボールペンの最初の記憶は、6歳のときに遡る。わたしは、わら半紙に赤いボールペンでマジンガーZを書き殴るのが大好きな子供だった。
そこでなぜ赤いボールペンが選ばれたのかは、記憶にない。
だが、わら半紙を突き破るペン先に辟易し、ボールペンはすぐ鉛筆に変わってしまう。書かれるものも、わら半紙からノートに移行していく。
それから中学、高校に上がるまで、ボールペンが手許のメインに上がってきた試しはない。蛍光色の油性ボールペンが出たとき少しばかりクラスで流行った記憶はあるが、授業で使うわけでもなく、趣味で使うわけでもない。ローティーン他故壁氏は、ボールペンとは無縁だった。

なぜか。
油性ボールペンの書き味も、筆記線も、色も、すべてが嫌いだったからだ。

油性ボールペンの書き味は堅く、重く、今ほどなめらかではなかった。
書かれた線はか細く、ある個体はかすれ気味で、ある個体はダマが出て粘つく有様だった。
引かれた線も黒々としておらず、視認性に欠けていた。
そして何より、ボールペンで書かれた文字は、他の筆記具で書いたそれより、震えて弱々しく見えたのだ。。

水性ボールペンという筆記具があるのは知っていた。
油性ボールペンよりは「ましな」文字が書けることも。

だが、高校生あたりになってくると、ちょいと生意気な知識が入り込んでくるものだ。当時わたしは地元のラジオ番組に投稿を行うハガキ職人だったのだが、水性ボールペンで書かれた文字が雨で濡れてにじんだり読めなくなったりするのを極端に嫌っていた。
水性ボールペンというジャンルすべてに耐水性がなかったわけではない。だが、わたしが住む地域で入手できる範囲での水性ボールペンは、みな染料系インクで耐水性がなかった。
だから、嫌いで嫌いで仕方がなかった油性ボールペンでの投稿を余儀なくされていた。
字が汚く見えて、採用されないのではないかと常に恐れながらの使用だった。

そこに登場したのが、モノボールだ。
モノボールは、軸内に直接インクを蓄えた顔料系の水性ボールペンで、しかも定価で100円だった。

これは画期的な製品だった。
まず、中綿式でない、直接インクを溜め込んだスタイルのため、買ってきたばかりの新品の時期から書けなくなる使い終わりまでの間、インクの出に変化がない。1982年発売の「ロールペン」から、トンボ鉛筆は独自の直液式水性ボールペンを発売しているが、モノボールでも同様に、黒々とした濃いインクが紙面に常に出てくるのだ。
当時の油性ボールペンにありがちだった「かすれ」「ボテ」「色の薄さ」「線の頼りなさ」がない。線が太くくっきりと書かれるだけで、文字が綺麗に見えるのだ。
そして待ち望んでいた、水性でありながら水に流れない顔料系インクの搭載。耐水性至上主義者だったわたしは、一も二もなくこのペンに飛びついた。
するすると書ける筆記の軽さも、中綿式に較べ筆記距離が長いことも、すべてがわたしにとってはありがたかった。書いたハガキが何枚だったかは記憶にない。だが以降、モノボールは常にわたしのペンケースに居続けることになる。

いま日本では、水性ボールペンジャンルは衰退の一途を辿っている。
海外では未だにローラーボールの需要があり、輸出を中心に製品を開発しているメーカーはあるものの、国内での水性ボールペンは風前の灯火である。
油性ボールペンは「かすれ」「ボテ」「色の薄さ」そして「書き味の重さ」を克服し、水性ボールペンが得意としていたカラフルペンのジャンルはゲルインクボールペンが担っている。

水性ボールペンはどこに行くのか。
わたしが今でも水性ボールペンを使う唯一の理由は、「書いていて気持ちがいい」からである。
紙にインクがたっぷり染みこんでいく快感。
他の筆記具では味わえないほどに、軽やかでなめらかな筆記感。
ボディから垣間見える液体の表情。透けて輝くインク。
ものすごく細かく文字を書いたりするのは苦手かもしれない。紙によっては裏抜けを気にすることもあるかもしれない。
でも、思考に羽を生やし、紙上にそれを踊らせるために、このインクの出となめらかさがどうしても欲しい時がある。
さらに言えば、いつ何時その書き込まれた紙が突然の水分に襲われるかもしれない。その時のために、やはり耐水性も欲しい。
その快感を教えてくれたのが、モノボールだったのだ。

いまでも、昔から営んでいる文房具店を覗いてみると、他の筆記具と並んでモノボールが投げ込み什器に刺さっていることがある。さすがに21世紀の現役たちに較べれば書き味は落ちるが、それでもわたしは見つけるたびにモノボールを買ってきて手元に置くようにしている。
そして、昔と変わらぬ気持ちで、今日も紙面にインクを染みこませる。するすると動き、黒々と線を描く。そうそう、これこれ。この感じがいいんだよ。
書いてみると判る。なくなっては困るジャンルのペンだと、改めて気づかされる。水性ボールペンがもう一度流行ってくれないか、と心から思う。