誰が言い出したのか知らないが、「コピー機を持ち歩きたい」というニーズが発生していた。
最初に普及したジアゾ式(青焼き複写)コピー機は手軽に使用できるものではなかったが、その後PPC式(現在よく見る白焼き複写)がオフィスに普及し、その後大学周辺などで「1枚10円コピー」が可能になった80年代から、コピー機の便利さが一般にも理解されるようになっていく。
それでも、コピー機は店頭かオフィスにしかない。
1980年代なかば──家庭にようやくワープロが入り始めていたが、ワープロのオプションスキャナは高額であるにも関わらずコピー機の代わりになるような代物ではなかった。
しかもワープロのプリンタでは高解像度の出力は難しく、そのたびにインクリボン(専用の熱転写用紙に印字するために必要な、カセット状になったインクフィルム。たいへん高価な消耗品)は消耗するし、価格を抑えようとすると感熱紙(熱を加えると変色する薬剤が塗布された専用の用紙で、長期の保存には向かない)を使用するしかなく、感熱紙の長期保存のために結局はコピーを取らざるを得ないというジレンマも抱えていた。
キヤノンがポータブル複写機「ファミリーコピア」を発売したのが1986(昭和61)年。ワープロのように全家庭に普及したわけではないが、キヤノンは「パーソナルでコピー機が欲しい」というニーズを、「じゃあトナーカートリッジ内蔵で家庭内持ち運びを前提とした縦置き可能なフラットベッド機を作りましょう」と受け止めた。
では、コピー機メーカーのもうひとつの勇、富士ゼロックスはその声にどう応えたのか。
1988(昭和63)年、ハンディ転写マシン「写楽」が登場する。
大型から小型へ。
デスクトップからラップトップへ。
部屋と部屋を移動できる大きさではなく、鞄に入れて外出できる大きさへ。
日本の電子機器は、この時期みな小型化されていく。
小型化された電子機器は、パーソナルユースに近づくと「電子文具」という名を与えられ、家電量販店ではなく文房具店の店頭に並べられた。
写楽もそういう立ち位置にいるマシンだ。
ただ、写楽は電子文具と聞いて想像するものとは趣を異にする体積と重量を有している。電子文具界のスーパーヘヴィーウエイトだ。
鞄に入れて持ち歩くものではない。できないわけではないけど。
インクリボンカセットを含まず、本体の重量は910グラム。
これに外づけバッテリーユニットが必要になる。プラス380グラム。
いまインクリボンユニットの重量を量ったら、29グラムあった。
合計で1,319グラム。1.3キロオーバーである。MacBookProと遜色ない重量である。
これを外出時に持ち歩きたいと思ったことは、一度たりともない。
外づけバッテリーユニットは充電に8時間かかる。
充電完了後、電源を入れる。スキャンしたい紙を机の上に置く。
スキャンできる幅は104ミリメートル、長さは最大216ミリメートル。幅はおそらく葉書をもとにしていると思うのだが、そんな細長い変な形の紙はそうそうない。もっともわたしの使用方法は、バイブルサイズのリフィルに何らかの情報を転写することだったから、このサイズでも不満はなかったのだが。
ユニットをわしっと掴み、転写したい用紙の上をゆっくり、ゆっくり動かす。
その行為は、アイロン掛けそのものだ。しかもアイロンと異なり、安定感がない。細心の注意を払って、皺を伸ばすかのように慎重に慎重にスキャンしていく。
赤いランプがついたら、それは失敗の合図である。やりなおし。
緊張のスキャンが終わったら、写楽の下半分をがしゃりと持ち上げる。するとスキャンユニットがバンパーのように跳ね上げられ、本体下部の熱転写ユニットが露わになる。
ここからまた、緊張の時間だ。
写楽は自走してくれるわけではない。紙が滑らないように敷かれた専用の下敷きの上で、あくまで人が適切な速度で押してあげなければ、正しく印字ができない。
この印字がまた難しいのだ。曲がってはいけないし、早すぎても遅すぎてもいけない。これがまた何か修行のような──そう、まるで「写楽道」とでもいうべき、まったく新しいデジタル修行が発生したかのような、辛く厳しい世界なのだ。
ぶっちゃけ、写楽はコピー機の代わりにもならないし、印刷機の代わりにもならなかった。
手軽に持ち歩くことができないので、友人知人に自慢することもできない。
とにかく印字が難しかった。そのために無駄にインクリボンを消費してしまっていた。
リフィル作りもワープロによる自作が中心になり、複写してまで持ち歩きたい情報はそうそうなかったし、新聞や雑誌なら切り抜きで対処すればよかった。
もうひとつのニーズは年賀状作成だと思うが、印字が難しいし、枚数を刷ると緊張からかものすごく疲れたので早々に挫折した。
写楽を手にしたときには、きっと「電子文具によって具現化された未来」があると信じていたのだと思う。まさに未来を絵に描いたような、ハンディなコピー&ペーストマシンが登場したと喜んでいたのだ。
でも、そこにあるのは修行の道だった。
わたしは買い込んだリボンを使い切ると、わりと早々に写楽を箱に戻し、押し入れにしまい込んでしまっていた。
今はコピー機を持ち歩きたい、と思う人は皆無だろう。
デジタル機器が普及し、フィニッシュがプリントアウトでなくていい時代になったからだ。
スキャナを持ち歩かなくとも、スマホのカメラは充分な解像度を持っている。
わざわざ情報を取り込み、それをリフィルに印字してシステム手帳に綴じ込むこともなくなった。
だから写楽は徒花なのだけど、でもその時代の息吹を強く感じる存在でもある。
今でもたまに、もう動かなくなった写楽を取り出して持ち上げてみることがある。
あの時代の技術革新が詰まった、1キログラムの物言わぬ塊。
そういう時代に生きていた──と後ろを振り向くのは、罪なことだろうか。