いつ、どこで、どうやってルーズリーフと出会ったのか、まったく憶えていない。
どのブランドの、どのルーズリーフと、どのバインダーから使うようになったのか。記録もないし、当時のものも残っていないので、まったくもって定かではない。
だが、中学ではいつの間にか、ノートの代わりにルーズリーフで授業を受けていた。

タイムスケールを1980年に巻き戻そう。

授業別にノートを分ける必要がない。
ノートの切り替え時期に悩む必要がない。
必要があればいくらでもページを足すことができる。
罫の混在も容易だ。
使う予定だった授業のノートを忘れる、という失態も防ぐことができる。
ルーズリーフは「便利の塊」だった。
バインダーには授業で書くためのルーズリーフ以外に、わたしにとって必須だったものがふたつ挟まっていた。
ひとつは、現在でも発売されているマルマンのポケットリーフ。紙を折り曲げてポケットにした単純なアクセサリだが、驚くほどに便利な代物である。
もうひとつは、現在はない──同じくマルマンのルーズリーフディクショナリーだ。

「英和編」は1978年、三省堂・編。
「新クラウン英単語熟語帳」(三省堂)に多少の手を加えて英和辞典としての体裁を整えたもので、英文読解の際必要にして充分な精選6,700語、熟語1,000、用例3,700をB5サイズに凝縮している。
前置詞、接続詞、関係代名詞、関係副詞などはそれぞれの対訳に対する用例を別掲載し、重要不規則動詞集を巻末に附録としてつけている。
全64ページ(リーフ32枚)で定価300円だ。

「和英編」は1979年、三省堂・編。
「新クラウン和英単語帳」(三省堂)をルーズリーフスタイルにしたもので、見出し語12,000、例文2,000をB5サイズに凝縮している。不規則動詞変化表は「和英編」にも附属しているが、同じ表ではない(「和英編」の法が語数が少ない)。
全64ページ(リーフ32枚)で定価300円である。
高校生の英語学習に向けて作られたものではあるが、中学生から大学生、社会人に至るまで幅広く使用できると、三省堂編纂局は本製品の冒頭で述べている。

つまり、両者とも、中学校の授業で習う英語で使う分には不足がないということだ。
1980年──中学一年生だったわたしは、この両者を購入した。

わたしは小学校5年生から英語と英会話の塾に通わされていたが、正直に言って英語は大の苦手だった。
常に辞書を引かないと意味は判らないし、ヒアリングはまるっきりお手上げ状態。
2年先行して学習したにも関わらず、中学に上がってからの英語学習は容易ではなく、やはり辞書と首っ引きの状態に変わりはなかった。
中学では入学時に、教科書といっしょに辞書を買わされた記憶がある。ただ、それがどんな辞書だったのか思い出せない。わたしのメイン辞書はその買わされた分厚くて引きにくい辞書ではなく、ルーズリーフディクショナリーだったのだ。

マークをしたいと思っても、辞書に直接書き込むのは気が引けるものだ。
今と異なり、まだその頃ポスト・イットは発明されていない。
授業で辞書を引く、あるいは予習で辞書を引く際、辞書に付箋を挟むという行為は、当時わたしの知識には存在しなかった。
だが、ルーズリーフディクショナリーは違う。
辞書に較べ安価で、下方にはメモ欄もある。6ミリ罫7行ではあるが、メモには充分なスペースだ。
紙質も辞書と言うよりは筆記用のルーズリーフに近く、シャープペンシルで書くのに適していた。蛍光ペンや蛍光ボールペンでアンダーラインを引くのにも抵抗がない。
これは「マイ辞書」なのだ。
自分で書き込んで拡充していく、自分だけの辞書なのだ。

気づけばクラスの半数以上がルーズリーフを使用するようになり、みなバインダー表紙にシールを貼ったり中紙を代えたりと、競うようにカスタマイズを楽しんでいた。小学校でキャラクターものを禁止されていた反動なのか、それともひとと違った物を持ちたいと思う背伸びした意識だったのか──。
ルーズリーフのシェアも流行し、リーフもA罫やB罫だけでなく、方眼罫や無地(罫の引かれた下敷きを引いて使う)、またピンクやブルー、バイオレットといったカラーリーフも登場して百花繚乱の時代へと突入する。
ただ、ルーズリーフディクショナリーを購入し装備しているのはわたしだけだった。それがとても意外で、薦めても「へえ……」的リアクションしかなかったのが残念といえば残念だった。使えばぜったい便利なのに!

その後、授業の友だったルーズリーフディクショナリーは大学受験まで活躍してくれた。入学後、大学で英字新聞を読む授業にぶち当たるまでは。さすがのルーズリーフディクショナリーも、The Japan Timesを読み解くには力不足だったのだ。
ありがとうルーズリーフディクショナリー。わたしはきみを忘れない。学習の友よ、本当にありがとう。