■データ

『DEATH NOTE』
週刊少年ジャンプ 2003年~2006年連載
原作:大場つぐみ 漫画:小畑健

概要とあらすじ:
名前を書いた人間を死なせることができる死神のノート「デスノート」を偶然手に入れた天才高校生の夜神月(やがみ・らいと)は、デスノートを使って犯罪者を抹殺し、新世界の神をめざす。それを阻止するため、警察と世界一の探偵「L」は智力の限りを尽くし月に立ち向かって行く。
原作・大場つぐみ、漫画・小畑健による大ヒットコミックで2003年から2006年まで週刊少年ジャンプにて連載。単行本全12巻の世界累計売上げは3000万部以上。4本の実写映画化、テレビドラマ、テレビアニメ、小説、舞台、ゲームなど、あらゆるメディアミックス展開もなされた2000年代日本を代表するメガヒットコンテンツ。

『DEATH NOTE』ジャンプコミックス 全12巻

■原作コミックで夜神月が使っていたペンは?

2000年代を代表するモンスターコミック『DEATH NOTE』。そのヒットの規模も破格なら、内容もとにかく破格だ。原作担当・大場つぐみによる本格倒叙ミステリとしての完成度、心理戦や情報戦のトリックの複雑さ、作画担当の小畑健による緻密で圧倒的な画力。どれもが「週刊連載」「少年漫画」としての域を大きく飛び越えている。今回、この原稿を書くに当たって久しぶりに読み返してみたのだが、やはり途中から完全に振り落とされちゃいました。マンガとしての推進力と難易度の高さが不釣り合いだ──と、そんな言いがかりのひとつもつけたくなるほど、とにかく濃密で過剰な作品である。

本作は文房具ファンとしても見どころが多い(そもそもデスノートって文房具だしな!)。このノートに名前を書かれた人間は死ぬ。つまり「書く」という日常的な所作が禍々しい殺人行為となるわけで、事実、本作最大のアクションはこの「書く」という動作であり、これが成立するためには前提に小畑健の人並み外れた画力が必要不可欠だった。このようなチャレンジをやすやすと実現させてしまった小畑健、まずは恐るべし、なのである。

ともあれ、「言霊」という単語に代表されるように、表出されたことばにマジカルな力が宿るとする考え方は古今東西いたるところにある。人の内側にある思念がかたちを得て姿を現すとき、それが善意であろうと悪意であろうと現実に影響を与えてしまうという期待、あるいは恐怖は根強くあり、そのバイパスや触媒の役目を果たすのが筆記具なのだ。ゆえに当然、本作においても筆記具はしっかりとした存在感をもって描かれている。

と、ここまで読んだ『DEATH NOTE』原作ファンで、では夜神月がいったいどんなペンを握っていたか、覚えている人はどれくらいいるだろうか。文字を書き込むシーンはすぐに思い浮かべられても、その手許にどんなペンが握られていたのか、案外思い出せないのではないだろうか。

■求めたのは「透明な存在感」

先に答えを言うと、この作品の登場するペンに特定のモデルは存在しない。いや、正確には、現実に存在するペンをベースにアレンジした独自のペンが登場するのだ。

たとえば単行本1巻、自室でデスノートに名前を書き込んでいるときに使っているペンは、パイロットのシャープペン「スーパーグリップ ノック」をモデルにしたと思われる。単行本2巻、路上で間木照子(南空ナオミ)の名前を書き込むときに使っているのは、三菱鉛筆の定番ゲルインクボールペン「シグノRT」に近い。さらに原作終盤の12巻、成長した夜神月が最後の切り札として咄嗟に取り出すペンは、パイロットの「キャップレスボールペン」だろうか。


■文房具キャスト① パイロット『スーパーグリップノック』

パイロット『スーパーグリップノック シャープペンシル』

「特徴がないのが特徴」的なシャープペンため特定に迷ったものの、おそらくベースとなっているのはパイロットの「スーパーグリップ ノック」。ただしノックノブ基部が透明でグリップが黒というモデルはなく、おそらく別のシャープペンと掛け合わせたものだと思われる。詳細が分かる方はご一報を。

 

■文房具キャスト② 三菱鉛筆『ユニボール シグノRT』

 

三菱鉛筆『ユニボール シグノRT』

これまた特定が難しい。ペン内部のリフィルを保持するパーツはゼブラ「サラサ」を思わせるが、ノックパーツの形状は三菱鉛筆「ユニボール シグノ RT」に近い。どちらも細部に実物とは異なる点があり、現実には存在しない一本となっている。また、コマによってクリップ形状が直線か曲線かで異なっているのも特定を難しくしている。詳細が分かる方はご一報を。

 

■文房具キャスト③ パイロット『キャップレス ボールペン』

パイロット『キャップレス ボールペン』(現在は販売終了)

大ゴマではまず砲弾型のボディと木製軸(?)からファーバーカステルの「エモーション」を連想する。しかしディテールに目を凝らすと尾尻やクリップの形状は同じくファーバーカステルの「ギロシェ」に近い。ただし両モデルとも軸の中央のリングパーツはない。そして次のコマを見ると、地面に転がったフォルムはパイロットの「ボールペン キャップレス」を想起させる。詳細が分かる方は(以下略)

 


大なり小なりモデルとなるペンに似てはいるが、実はディテールが違っていたり、コマによってフォルムが崩れたりしていて、実物そのものとは言い切れない。単なる作画エラーか、製品を特定させないための意図的な措置なのかは判断できない。しかしモデルとなったそれぞれのペンのキャスティング意図は明確だろう。すなわちそれは、「必要以上に目立たないこと」である。

注目させたいのはあくまで「書く」という行為であって、そのほかの邪魔な要素は入れたくない。「全国トップクラスの優等生に相応しいシャープペン」「機能性優先で過度なこだわりが感じられないボールペン」「警視庁勤務の若きエリート捜査官が持っていて自然な筆記具」……ひっくるめて言えば、そこに余計な自意識を感じさせない、「モブ文房具」としてのキャスティングだ。まったくゼロから創り出したオリジナルの文房具では逆にノイズになりかねない。

また、このキャスティングによって夜神月という人間の人物造形──すなわち、非効率的なこだわりには興味がなく、目標に向かって善悪の区別なく真っ直ぐ突き進んでいく怪物的性格を小道具の面から微かに補強しているとも言える。

いずれにせよ、この作品の筆記具に求められたのは“透明な存在感”であり、その狙いは見事に果たされたと言っていい。『DEATH NOTE』の原作で使われていたペンは?と問われてもほとんどの文房具ファンが即答できないのがその証左だろう。比べるとテレビドラマ版の夜神月はプラチナの「PRO-USE 07 MSD-500C」を使っている。原作のキャスティングに比べるとややマニアックなチョイスであり、ここに原作ほどの透明度はない。メディアミックスによって原作の巧みさが際立って見えた一例と言っていいだろう。

(余談になるが、原作連載時と2017年現在では学生のシャープペンを取り巻く環境が決定的に変化してしまった。具体的に言うと2008年の三菱鉛筆「クルトガ」登場以前と以降で大きな断裂がある。なので、もし今『DEATH NOTE』原作がリメイクされたら、少なくともシャープペン周りの描写はガラリと変わっているはずである)

■リアル系マンガの中の「嘘」

そもそもなぜこのようなアレンジが必要かと言えば、それもひとえに小畑健の画力の高さゆえだ。このレベルの描き手となれば、少なくとも素人目にはほぼ「現実そのまま」に描けてしまうため、逆に曖昧なごまかしが許されない。実際にある文房具をそっくりそのまま描いてしまうほうがよっぽど楽だろうと思えるが、意匠権の問題や、ストーリー上決して健全とは言いがたい役目を担う小道具のため、そのまま描くのは憚られたのだろう。かくて描き手は架空のペンを創作せざる得なかったのだ。

これはいわゆる「リアル系マンガ」の中にマンガ的デフォルメをどう持ち込むかという問題でもある。マンガである以上、いやもっと言えば、それが一旦誰かの目を通して表現されたもの(=フィクション)である以上、そこに何らかのデフォルメは必ず存在する。ゆえに、そのデフォルメの匙加減や作品全体との整合性を見極めた上でのアレンジ具合に、作者の「創作的知性」──端的に言えばセンス──が発揮されるのである。

現実への眼差しの確かさと、それを切りとって定着させる技術が交差する高い地点で、それとは気づかぬささやかな嘘が発生する。創作物を鑑賞するいうことは、その嘘に心地よく騙される愉しみでもある。とりわけ、どこまで技術が進歩しても最終的には個人の手によって紡がれるマンガというジャンルには、エラーも含めて愛すべき嘘が存在する。それが愛おしい。もちろん、細部に目を凝らす文房具ファンにとっては、「これ、どっかで見たことあるんだよな……」と悩んだり調べたりする愉しみもまた残されているわけだ。

■備考
文房具特定協力:きだてたく、他故壁氏