そもそも学校にカッターナイフを持っていくことは禁止されていた。
1970年代の、わたしの通った小学校の話である。
教室には電動鉛筆削りが備えられ、ナイフの所持は必要がないとされていた。
授業で工作をする時も、低学年ではハサミだけが許可されていた。
自分用のカッターナイフを持ったのは、工作での使用が許可された高学年になってからだったと記憶している。
扱いが下手くそだったので刃を長く出して折ることは日常茶飯事で、しかも刃を替える際にべたべた触るからか、ろくに使わないうちに刃に錆が浮いてくる始末だった。
まっすぐ切るのに鉄の定規を使う、なんて思いつきもしなかった頃だ。
もちろんカッターマットも知らなかった。

1979年。
中学に上がり、図画工作の授業は技術家庭科に変わった。カッターナイフで段ボールを切って工作する授業はなくなったが、文房具としてカッターを所持することに制限はなくなった。
その時わたしがパートナーに選んだのが、この年に発売されたオルファのタッチナイフだった。

縦35ミリ、横40ミリのかまぼこ形のボディ。厚さは5.5ミリ。スライド式のカッターで、刃を折ることも替えることもできず使い切りの製品である。
スライドはロックがなく、スライド終端の盛り上がったパーツにスライダーを乗り上げると簡易的なロックになる。乗り上げるところまでスライダーを動かさなくても指を離さなければ刃は動かず、その場合は指を離せばスプリングで刃は自動的に内部に収納される。
安全であり、持ち運びが楽で、ハイカーボンステンレス刃は錆びにくいので水洗いにも対応できた。
大人だけでなく、子供たちにもこのタッチナイフは大流行した。もう鉛筆を削る時代ではなかったが、「ちょっと切りたい」という願望は老若男女を問わずみな思っていたことだったのだ。

授業で工作がなくなったからといって、カッターナイフの出番が減るわけではない。
むしろハサミを持ち歩かなくなった分、タッチナイフの出番は多かった。
今ほどお菓子のパッケージが開けやすくなかった、という側面もある。
雑誌やプラモを買うと、ビニールのひもでガッチガチに縛ってあったりもした。
手紙の封を開けるのにも便利だった。
雑誌の切り抜きもした。透明のB5版カードケースを購入し、中に雑誌の切り抜きを入れて下敷き代わりにするのが流行っていたのだ。
だが、いま思うと最も頻度がダントツで高かったのは、消しゴムのスリーブを切って短くすることだった。

タッチナイフとの蜜月は続いた。
中学、高校の6年間は常にタッチナイフが側にいた。
いざというとき役に立つ、それ以外では毎日のように消しゴムのスリーブを切る専用の道具。間違いなく、なくてはならない相棒のひとりだった。
「誰かカッター持ってる?」
と訊かれれば、
「はいよ」
と投げて渡す。
そういう学生時代を過ごしてきた。

高校を卒業し、趣味の漫画にスクリーントーンを使用するようになって、わたしのメインカッターはタッチナイフから、同じオルファのブラックS型とデザイナーズナイフに代わる。
タッチナイフでは細かなトーンの切り出しができなかったからだ。
また、トーンを削って効果を出す際にも、刃先が戻ってしまうタッチナイフでは作業がしづらかった。
その後も筆箱にはタッチナイフを入れていたが、次第に他のカッターナイフが手元に増え、必要に応じ持ち歩くものを替えていく経緯で、いつしかその姿を消すようになる。

2018年。
久しぶりに店頭でタッチナイフを買ってみて、形が変わっていることに気づいた。
現行品であるタッチナイフベンリーのほうがオリジナルより若干大きく、スライダーに深い刻みが入っていて滑りにくい。強引に押し込めばスライドロック状態にはなるのだが、この製品はスライダーを持ったまま切る→離したら刃が戻る、を強調した作りなのだと思う。
もうひとつのタッチナイフであるマグタッチは立体的な膨らみがさらに握りやすさを向上させていた。マグネットで冷蔵庫やスチール家具、玄関など「カッターを使いそうな場所」に貼っておける便利さは、他の何ものにも代えがたい。

それでも当時のタッチナイフが懐かしくて、ヤフオクで探して落としてみた。箱で入手したので、いま旧式タッチナイフが手元に90個以上ある。
よく見ないで取引したわたしも悪いのだが、手元に来たタッチナイフはスライダーにCloverのロゴが入っていた。そう、手芸用品のクロバーのものだ。どうも当時、手芸用カッターナイフとしてクロバーがオルファにOEMを依頼していたらしい。
そういう時代だったんだなあ、と感慨深げにクロバータッチナイフを眺めつつ、それを筆箱に放り込んで毎日出勤している。
もう消しゴムのスリーブを切ることはほとんどないが、それでも「ちょっと切りたい」という願望は減るものではない。
便利を持ち歩こう。それが文房具だ。