■映画データ
映画『桐島、部活やめるってよ』
2012年8月11日公開
監督:吉田大八
出演:神木隆之介、橋本愛、東出昌大、山本美月、松岡茉優ら
概要とあらすじ:朝井リョウの同名小説を、『美しい星』『紙の月』『パーマネント野ばら』の吉田大八監督が映画化。ある県立高校でバレー部のキャプテンを務める「桐島」が突然部活を辞めたことから、各部活やクラスメイトたいの人間関係に異変が起きていく。同作は第36回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀編集賞の3部門を受賞した。
公式サイト
DVD

■文房具キャスト
「プレスマン」プラチナ万年筆
1978年発売のシャープペン。芯径0.9mm・芯全長100mmという太くて長い芯を採用。筆圧をかけると芯が引っ込み折れるのを防ぐセーフティスライド機構を搭載している。2015年にリニューアルしてカラーモデルも発売された。
プラチナ万年筆「プレスマン」

 


授業中。クラスメイトたちが黙々とノートに板書を書き写している。カメラがゆっくりと近づいていく。壁際の席に座る前田(神木隆之介)は古典の教科書を不自然に持ち上げ、何やら必死に書き付けている。横向きにしたレポート用紙には明らかに授業とは関係なさそうなイラストや線が引かれている。映画部の前田はどうやら撮影中の自主制作映画『生徒会・オブ・ザ・デッド』の画面設計に悩んでいるようだ。彼の脳内カメラを具現化させている筆記具は、プラチナ万年筆の名作シャープペン「プレスマン」。

高校生が授業のノートにプレスマン?

文房具に少しでも通じている人間なら誰もが違和感を憶えるだろう。しかし、誤魔化しようがないほどはっきりとそのシャープペンはスクリーンに映し出されている。

プレスマンは1978年発売のロングセラーモデル。速記者や新聞記者向けという触れ込みがマニア心をくすぐるが、コンビニなどではまずほとんど売られていない。普通の高校生が使うにしてはあまりに攻めた“文房具キャスティング”と言っていい。さて、この配役にはどんな意図が込められているのだろうか?

この物語は、学校という場で同調圧力に押しつぶされそうな高校生たちが描かれている。映画部で脚本を書けば、顧問から「テーマは自分の半径一メートル」「自分にとってリアリティのあるテーマをやるべきだ」と等身大を押し付けられる。教室内で飛びかう視線ひとつひとつに過剰なコードが込められ、生徒たちはその網の目にがんじがらめになっている。ヒエラルキーのトップだったはずのバレーボール部員はこう叫ぶ。「こっちはこっちでギリギリなんだよ!」。無言のストレスで膨張した校内の空気は、桐島の不在で容易く破裂してしまう……。

彼と彼女たちは、同じ時間を生きる<横>の繋がりの海で溺れかけている。しかし主人公の前田は、辛うじて頭ひとつぶんだけ、その水面から顔を出して呼吸することができている。それはなぜか? 平凡で痛々しいほど冴えない前田が、ひとり窒息せずにいられる理由とは? それは彼が<縦>の時間、すなわち歴史という空気穴を持っているからだ。

前田が撮影に使っているのは、父親が使っていたという古い8ミリカメラ。映画のラストで、最もイケているはずの菊地(東出昌大)から、なぜこんな汚いカメラで撮影しているのかと問われ、こう答える。「オレたちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画が、繋がっているんだなって思うときがあって」

前田は海外の古い映画を観ることで、「イマ・ココ」とは別の世界を持つことができた。古いツールに触れ、違う時間と違う世界に想いを巡らせることで、今の自分を外側から眺める視点を獲得できたのだ。

その意味で、前田がプレスマンというシャープペンを使っているのには強い必然性がある。あるいは、プレスマンを持たせることで、<縦>の時間を持つ前田というキャラクターに「文房具的説得力」を持たせることに成功したのだ。前田くんは、プレスマンを使っているからこそ、この物語の主人公なのだ。

後日。ラジオの仕事で偶然、吉田大八監督に直接このキャスティングについて尋ねる機会を得た。吉田監督はきょとんとした顔で、プレスマンは小道具係の人が選んだ、たぶん太い線のほうがカメラに映りやすかったからじゃないかなぁ、と答えてくれた。

このように、製作者の思惑をぐんぐん飛び越え、映画、小説、コミック、ゲームなどにキャスティングされた文房具から過剰に意味を読み解いていくのが本連載である。よろしくお願いいたします。